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1997/08/04-2008/03/18

ウィーン楽友協会(Musikverein/ムジークフェライン)

正式名は:GESELLSHAFT DER MUSIKFREUNDE IN WIEN
楽友協会の言葉は2つの意味合いで使われる

  1. 大ホール(黄金のホール)
    • 大ホールは一般には「黄金のホール」とも呼ばれます。ウィーンフィルの本拠地としてニューイヤーコンサートが開かれるのはここです。
  2. ブラームスホール(小ホール)
    • 室内楽用の小ホールは、楽友協会理事だったブラームス(1897没)の胸像が置かれ、彼に捧げられたことから、小ホールではなく「ブラームスホール」と呼んでます。
関連項目:
ウィーンフィル
関連リンク:
ウィーンフィル博物館(日)
楽友協会(独)

楽友協会ホールへの移動と座席への移動

楽友協会フロント ◆移動公共機関の最寄り駅は、地下鉄U1、U2、U4号線カールスプラッツ/ Karls Platz 駅、路面電車と路線バスならオペラ座/StaaatsOperなど。

◆入場は、建物内部でそれぞれのホールに登る階段が分かれてます。階段登り口でチケットを係員に見せてから階段を登ってゆきます。Links(左)席は、建物正面真ん中から入り左。Rechts(右)席は、建物正面から入り右方向の階段になります。サークル/Cercle と パルテレ/Parterre、パルテレロジェ(ボックス)/Parterre-Loge 席は、建物をまっすぐ奥つきあたりまで行き、左右の階段を上がります。バルコンロジェ(ボックス)/Balkon-Loge、バルコンミッテ/Balkon-Mitte、ギャラリー(天井桟敷)/Galerieとシュテープラッツ(立ち見)/Stehplatzは、建物に入りすぐ左右奥の階段です。大ホールのバルコン席は階段登り口に表示がありませんが、ギャラリー席と同じ階段を登ります。この場合はクローク(コート預け)は階段を登りきった上にもあります。WCは建物に入ってすぐ右が女声、すぐ左が男性。

楽友協会の歴史

ウィーンに楽友達の協会ができたのは1812年でした。

1812年というと、ハイドンが没した3年後、ベートーベンが没する15年前、シューベルトが没する16年前です。そのころは、まだナポレオンがヨーロッパ中を走り回り、ハプスブルクのマリー・ルイゼと結婚した2年後です。ナポレオンの命によって考え出された保存食は、缶詰ではなく瓶詰めで、この画期的な発明により人々が飢えの不安から開放されようという頃でした。

当時のウィーンにはまだ環状道路は無く、中世時代からの直径1キロ程度の環状城壁が残ってました。ナポレオン戦争後に無用の長物となってしまった城壁上には樹木が茂り、多くの人々が散歩したことからカフェーハウスもありました。

音楽家達は市民階層の勃興によって中世時代からの宗教の足かせや、ルネサンス・バロック時代からの王侯貴族パトロンから解放され、多くの市民!を相手に自立するようになりました。コンサートを開き、楽譜を売り出し、フリーの音楽家として生活を始めようという頃です。

楽友協会が生まれた当初は、直径1km程度の城壁内で本部の所在が点々と移動し、現在の楽友協会の建物はフランツ・ヨゼフ皇帝による環状道路の整備が進む中で造られまたものです。

楽友協会の建物

建築美術家は、コペーンハーゲン生まれ、1891年にウィーンで没することになる「テオフィル・ハンセン」。彼はウィーンの美術アカデミー出身、アテネでギリシア古典建築を学んだために、アテネにも彼の作品が残ってます。ハンセンの建物はウィーン中にたくさんあり、楽友協会の他に国会議事堂、証券取引所、美術アカデミー等がよく知られています。彼の作品にはギリシア古典の影響が見られ、国会議事堂はその典型です。

皇帝フランツ・ヨセフの援助で造られた楽友協会は、造られたそのときから現在に至るまで、そしてそれが存在し続ける限り、音楽家による音楽家のためのホールとして世界最高の音響と、聴衆!を持ち続けています。

ホール内部は、音響上一番有利とされる木造に、金箔の輝かしい響きが加えられました。さらに、床を2重構造にすることにより共鳴箱としての機能を加え、宙づりの天井は響きへの共振を考えて作られたものでした。幸運なことに、楽友協会完成直後にすぐ横を流れるウィーン川に蓋がされ、その大きな坑道が巨大な共鳴空として機能するようになりました。

今では130年以上弾き込まれたバイオリンの名器にたとえられ、名実共に世界一のコンサートホールとして知られてます。

楽友協会内部の観光は楽友協会専属ガイド(独・英語)が案内します。ガイドツアーの予定は楽友協会横からの入り口に掲示されます。

ウィーンフィルとニューイヤーコンサートについて

楽友協会 黄金のホール「黄金のホール」は、150年の伝統を持ち世界最高と言われるオーケストラ・ウィーンフィル(正式名=ヴィナー・フィルハーモニカー) が、新年祝賀コンサートニューイヤーコンサート(日) を毎年元旦に開き、それが世界中に衛星放送で放映されるためによく知られています。ニューイヤーコンサートは世界で一番視聴者数の多いテレビ番組だそうです。

ウィーンフィルの事務局は、楽友協会の建物内にあり、楽友協会はウィーンフィルの本拠地となってます。

ウィーンフィルのチケット入手

ウィーンフィルの定期演奏会は、もちろん「黄金のホール」において行われますが、会員が先祖代々の会員席を手放さず、売り切れのままです。そのため、もしもウィーンでウィーンフィルの演奏を聴きたいという場合は、キャンセルされて再販売されるチケットの手配を急ぐ必用があります。

ウィーンフィルを聴く残された可能性は、5月6月に開かれるウィーン芸術週間と、7月8月にザルツブルク音楽祭、その他の特別公演です。その時には ウィーンフィルが演奏する一般売りのチケットが出回ります。やはり半年前には売り切れますから、多くの場合は再販売チケットのサーチを手配することになります。なお「ウィーン芸術週間」は毎年楽友協会とコンツェルトハウスの交代制です。

ちなみにウィーンフィルのニューイヤーコンサートは、たとえ運良くチケットが取れても、数十万円の値段になるのは常識です。世界で一番有名な演奏会ですから、世界中の富豪も含めて誰しもが聞きたがるためです。

ウィーンに来た方には、是非とも黄金のホールで最高の西洋音楽に触れていただきたいと願うのですが、世界中からネットでの予約が可能になってからは、有名な演奏家が演奏する場合には、チケットはほとんど手に入らないという状況です。

楽友協会のチケット入手は、早期申込みで業者を通せば、特殊な公演でなければ入手の可能性が高いようですが、結果がわかるのは直前だそうですから、「運よく取れれば」程度に考えた方が良いようです。

チケットは安いものから売れてゆきますし、手配が始まると予算変更が難しいようですから、チケット代行手配を利用する場合は、予算にゆとりを持たないと取れるものも取れなくなります。

下手に四角四面のコンサートに行っても、演奏がはじまったが最後、1時間半ずっと休み無く演奏が続き、時差も手伝って、眠いばかりで楽しめなかったという話もよく聞きます。普段からよほどコンサートに通いつめていなければ、かえって気軽なコンサートの方が楽しめるかもしれません。ご一考ください。