トップページ武田倫子の 「行った・見た・聴いた」フランツ・シューベルト「冬の旅」

フランツ・シューベルト「冬の旅」

 音も鎮まる雪の日々、何かを探し求めている貴方に、冬の旅は如何?。他の季節では味わえない、静謐さと共に思わぬ発見もあるので、お薦め。

 冬のある日、雪のしじまを縫って走る列車に乗って、シューベルトの<心の旅>に誘われつつ、ウイーンからは列車で50分程の、アッツェンブルック城を尋ねてみた。車窓からは、白銀世界の中に、烏が舞っているのが見え、「冬の旅」の曲中、「からす」とその心象風景が重なって来る。道中の木々には、ふんわりと雪の花が咲いているようにも見えた。

 冬場は閉館の所を、電話予約にて開館して頂けたこの館は、クペルヴィーザーの描いた、シューベルティアーデの一行が楽しく打ち興じている絵でも知られている。「もし、僕に友だちがいなかったら、作曲は出来なかっただろう。」と本人も言っているよう、その友人たちがフランツを支援して、新作を聴く会合の始まりが、「シューベルティアーデ」。おそらく当時のサロンコンサートは、現在よりも、もっとなごやかなものであった事だろう。

 ここであるスケッチが目に止まった。フランツが鳥を見て微笑んでいる。ーこんな顔をして笑っていたのかなーその素顔は、飾り気がなくて柔和で、とても彼らしい気がして、ふと身近に感じられた。

 名曲、「冬の旅」は、32歳で早逝する詩人、W.ミュラーの詩に強い霊感を得たフランツが、亡くなる前年の30歳の時に作曲している。(その5曲目で知られている、ミュラーが見た「菩提樹」の木は旧東ドイツに伝えられている)。往年の歌手、F.ディースカウや、H・プライの名唱もさる事ながら、T.ハンプソンの歌うこの曲集は、従来のイメージとは違った感を呈している。渋いモノトーンの中、独りだけれど、決して人間は孤独ではない世界を語りかけて来る、生きる希望が湧いて来るような歌唱で、ハッとする事があった。

 フランツの生涯を思い描く時、さすらう魂<人間はどこへゆくのか>のテーマにゆき当たるような気がする。そこはかとなく、深く、人生の波の漂う、まにまに生まれた美しい旋律は、心に素直にしみて来る。確固たる理屈では割り切れない何かに、私たちは魅了され続けて来た。

 フランツの求めた<心の旅>は、時代を超えて、どの人の中にも生きて流れている。さて、彼の魂はどこへゆくのだろう?。この静かに降り続く、雪の余韻の中に聴いてみようか............。

2004年(2009年)2月 武田倫子