トップページオーストリアとウィーンの一般情報区別のウィーン紹介【2区】

1998/07/30

ウィーン2区

2区には、昔からのユダヤ人の居住区と、プラターの森林地帯、アウガルテン宮殿などがあります。2次大戦中ヒットラーに迫害されて数が激減したものの、ユダヤ地区には今でも多くのユダヤ人が住み、ユダヤ人学校やユダヤの教会・シナゴークがあります。ドナウ運河界隈にゆけば、巻き毛にしたもみ上げを垂らし、黒い洋服に黒い帽子を頭にのせたユダヤ人達が目に止まることでしょう。

アウガルテン

2区を地図で見ると、北に広がる住宅地の真ん中に緑地帯が島のように浮かんで見えます。このあたりは、もともとドナウの湿地帯が広がっていたいたあたりで、その湿地帯「AU」に庭園「ガルテン」を置いたのがアウガルテン宮殿です。

アウガルテン宮殿は、多くのハプスブルクの宮殿の中でも特に有名な宮殿で、モーツアルトの日中コンサート「モルゲンコンツェルト」や、シューベルトのコンサートなどで知られてます。現在この宮殿は、アウガルテン磁器工房や、ウィーン少年合唱団の寄宿舎として良く知られてます。

アウガルテン宮殿では、ウィーン少年合唱団の寄宿舎の一般公開はありませんが、アウガルテンの磁器工房(独/英)のガイドツアーがあり、絵付師の見事な仕事ぶりを間近に見ることができます。日本語ガイド

メキシコ広場

2区でもドナウ本流の港が近いメキシコ広場界隈には、社会主義時代の旧東欧諸国民が、移動の安い船で来ては、お土産を買っていったショッピングゾーンと、居住区が広がってます。メキシコ広場は、今でも安物店が並ぶ、ウィーンで一番物価が安い地区です。ブランドで身を固めたジャパニーズギャルには似合わない地区ながら、小さな商店で、たわいの無い物を見つけるのはおもしろいかもしれません。

「メキシコ広場」の名はヒットラーにオーストリアが併合されたときに、世界で唯一メキシコの国が公に遺憾の意を表明し、後にそれに感謝してメキシコの名の地名をウィーンに作ったのだそうです。また2区内ではありませんが、「スウェーデン広場」や「スイス庭園」の名は、2次大戦敗戦直後にそれぞれの国からの救援物資が届いた場所をそう呼び続けてるそうです。

プラター

プラターの森 2区の南半分はプラター地区です。プラターは映画「第三の男」の大観覧車が回る遊園地としてあまりにも有名になりましたが、本来「プラターの森」を指す言葉で、その入口あたりに発生した遊園地は、一般には国民プラターと呼ぶのだそうです。プラターの名はドナウ川沿いに広がっていた草原湿地帯をスペイン・ハプスブルクの影響から、スペイン語でプラド(草原)と呼んだのが始まりですが、120年位前にドナウ川の河川工事がされてからはドナウの洪水がなくなり、今では湿地帯ではなくなって5.3平方キロの普通の森林地帯が広がってます。

そのプラターの森の東、ドナウのあたりにはウィーン最大のサッカー競技場スタジアムがあります。ここで大きなサッカーの試合があると、あたり一帯の道路に車があふれ、身動きがとれないほどに込み合います。マイケル・ジャクソン、最近では「3大テノール」のコンサートが開かれたのもこのスタジアムでした。

また、プラターの森の南にゴルフ場 があり、空港から高速道を移動するとドナウ運河を渡ってすぐ右によく見えますが、完全会員制のため一般公開はありません。その脇には観客席がユーゲントシュティールで造られたウィーン唯一の競馬場もあり、そこの乗馬クラブからプラターの森に多くの人が乗馬に出てきます。秋に日本人会主催のソフトボール大会が開かれる野球グランドはそのすぐ近く、ルストハウス(独)(享楽の館)の東100mです。

日本趣味の始まり、現在は見本市会場

ウィーンでは見本市メッセがよく開かれ、エロチックから最新技術のコンピュータメッセまで様々な国際見本市が開かれます。多くの見本市会場の中で一番大きいのがプラター遊園地の奥にある見本市会場です。明治時代にヨーロッパで一世を風びした日本趣味は、開国後間もない明治6年に、ここで開かれた万国博覧会が引き金となりました。伝統ある日本の文化が、明治天皇によってヨーロッパに紹介され、それによって多くの芸術家が影響を受け、日本賛美の論文が書かれ、ゴッホが浮世絵の模写を描いたりした頃でした。残念ながら1873年のウィーン万国博覧会のために建てられたオリジナルの会場は、1937年の火事で失われ、今の建物は二次大戦後に造られたものです。

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Jul.1998,高崎守弘