トップページ武田倫子の 「行った・見た・聴いた」ハンガリーへの旅

ハンガリーへの旅

 なつかしい子ども時代が蘇る8月となったので、今月はハンガリーへお誘い。どこまでも続くひまわり畑や、むくむくと湧きあがる雲に、夢を託した記憶をどの方も、お持ちでは?

 ブダペストより列車で1回乗り換えて、2時間半のところに世界遺産に指定されているホルトバージがあり、馬術のショーやめずらしい動物達を見せてくれる。陽に煌くティサ川や沼地を超えて列車は走ってゆく。5頭の馬を立ったまま繰る駆者は、代々、馬遣いであったかと思わせる、土俗的なにおいがありかけている声も、地声で東洋っぽい。元々ルーツが東洋系であるマジャールの血が感じられる。広々とした大平原の中を雲を追いかけながら疾走して行く馬たち。この乾燥した大気の中から生まれた騎馬民族のリズムと、我々のような農耕民族の、重心の違いからも来る、リズムとの差。長い年月の間に培われて来たビート感の違いを、身を持って実感せずにはいられない。ヨハン・シュトラウスはユダヤ系ハンガリー人の血の流れを汲むが、彼の音楽からもマジャールの情熱と、哀愁を帯びた他旋が彷彿とし、それが融合されつつ、洗練されて行っている所が、何ともウイーンらしい。

 又、ペーチやケチュケメートでは、誠に個性的で遊び心いっぱいの絵がある美術館や建築物にも出会える。フランスでの自由な表現とも、また1つ違う所での、たぎる民族の血と憂愁を秘め、どうしてこうも発想が豊かなのかな。と感心してしまう。これがジョルナイ磁器やタペストリーにも同様な表現方法が出ているし、その土地ならではの色合いと、微妙なこの<こく>が、ちょうど料理にも共通していて、一連の何とも言えぬ味わいがある。心、豊かな表現や思わぬ発想に、意を突かれる事は刺激ともなり、日常生活での、凝った頭には助けにもなってくれる。

 もし、他国へ旅する事があったら、わからないなりにも、その土地の言葉に耳を傾けてみよう。列車やバス、レストランでは、地元の人たちの会話が耳に飛び込んで来る。音やアクセント、そこに流れている何かからも必ず得る事があるのは請け合い。そんな手作りの旅を、夏休みには如何?。

2008年9月たけだのりこ