トップページオーストリアとウィーンの一般情報区別のウィーン紹介【3区】

1998/07/30

ウィーン3区

3区はベルベデーレ宮殿をはじめとしてバロック時代の宮殿が多く残る地域です。それらの宮殿の一部は現在大使館・領事館などに使われており、そのために、3区の一部は外交官街として知られています。3区を歩いていて、立派な建物から旗が出ていたら、大使館・領事館と考えてもだいたい差し支えないはずです。かつてのメッテルニヒの宮殿は、イタリア大使館ですし、ベルベデーレ宮殿のすぐ脇、市電Dが通る道路には様々な国旗が出ています。ルーマニア革命のときには、ルーマニア大使館前の道路一面に誰が置くともなく赤い蝋燭が敷き詰められ、地下室でルーマニア大使だったチャウシェスクの弟が、首を吊り自殺をしました。フランスの原爆実験のときに、横断幕を持った学生がフランス大使館前に立ったのは、ほんの数年前の事です。ネズミ色の疲れた背広を着た出稼ぎ労働者が、滞在ヴィザや労働ヴィザに必要な書類をもらうために、自国大使館前に列をなすのもこの地区です。日本大使館も元々は3区にあったのですが、98年4月からは1区に移転してます。

建築家フンデルトヴァッサーの作品

3区の東、2区との境にはドナウ運河が流れてます。その運河沿いにフンデルトヴァッサーの建造物が点在し、観光名所となっています。クンストハウスは、フンデルトヴァッサーがデザインした個性的な展覧会場です。そのフンデルトヴァッサーがデザインした穴蔵のようなショッピングアーケードは、フンデルトヴァッサーハウスの向かい側にあり、彼のデザインした建物の内装を楽しむことができます。

モーツアルトの墓地、聖マルクス墓地

3区の南はずれに横たわる高速道路は、かつての第2城壁・リニエンヴァルのすぐ外に位置します。ウィーンにまだ2本の城壁があった頃には、2本の城壁間の地区をフォアシュタットと呼び、その外はフォアオルトと呼びました。モーツアルトの墓地として知られる 聖マルクス墓地(独) は、3区の一番はずれに走る高速道路脇、かつてのフォアオルトに位置します。この墓地の名前は、ウィーンからイタリアへ伸びる旧ベネチア街道沿いに開かれた墓地に、ベネチアの守護聖人マルクスの名前を付けて奉り、旅の安全を祈願したことからくるそうです。ここにはベートーベンのディアベリ変奏曲で知られるアンニオ・ディアベリやミシンの発明者マタースベルガーのお墓などがあります。

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Jul.1998,高崎守弘