トップページ買い物と免税ウィーン・オーストリアのお土産シルバークリスタル

2000/03/20-2007/12/19

スワロフスキー/Swarovskiのシルバークリスタル

銀色に輝くガラスの置物飾りや、ペンダントなどの装飾品でしられるシルバークリスタルは、オーストリア製品の中でも最も有名なお土産です。このシルバークリスタルはオーストリアのチロル州ヴァッテンス/Wattens(独)の村で作られています。

関連リンク:
スワロフスキー社(独/英/日)
リーデル社(独/英/日)
ロープマイヤー社(独/英)

ヨーロッパのガラス

ベネチアングラス(ムラノグラス)

ヨーロッパ最初期の大規模なガラス工房は、ベネチアのムラノ島に置かれました。このベネチアングラス(ムラノグラス)にはソーダ石灰ガラスが使われ、溶融中の可塑状態が長く形状加工がしやすいため、レースガラスや色ガラスを自由に組み合わせた芸術的なガラス細工が知られています。

ヴァルトガラスとカリクリスタル

その後出てきたボヘミアングラス(現チェコ)は、10世紀末にマジャールにより滅ぼされたモラビア王国のガラス職人がボヘミアに移ったのが始まりです。最初は中央ヨーロッパのブナやカシ林で作られていたヴァルトガラス(森林ガラス)で、これには灰汁が用いられたため原料に不純物が混じり、緑色や黄色、茶色を帯びたガラスでした。

その後、ブナやカシの木を燃やしたカリウム主成分の木炭を精錬した炭酸カリウムを原料とする良質のカリガラスが定着し、ヴェネチアのガラスよりも質の高いガラスが生産されるようになりました。このカリクリスタルガラスは形状加工が難しいため、ベネチアングラスに見られるような繊細優美な形状と異なり、先ず単純な形を形成してから、その表面を加工する技術が発達することになります。

16世紀末には美術品の収集で有名なハプスブルクの皇帝ルドルフ2世が、宮廷石工職人カスパーレーマンをミラノからプラハへ呼び寄せ、水晶などの宝石の表面にグラインダーで肖像などを彫った「グラヴィール/engraving」技術がカリクリスタルへ応用されるようになると、芸術品としてのボヘミアンガラス製品の地位が不動のものとなります。

17世紀末にはマイセン磁器の絵付師フリードリッヒ・エーゲルマンが、カリクリスタルの表面に銀や銅化合物の溶剤を塗り窯の熱で発色させたり、透明なカリガラスに乳白色のガラスを被せ、表面を様々にカットし削り取るというイタリアルネサンスのスクラフィートに似た色被せ/いろきせ/Overlay技法を取り入れてます。

このような加工には鉛ガラスよりもカリガラスの方が、特に装飾用の金張の点で適していることから、最高級ボヘミアングラスの芸術品にはカリクリスタルが使われ続けてます。ハプスブルク王室御用達ガラス工房として世界的に有名なロープマイヤー(日)もこのカリグラスを使っていることで有名です。

鉛クリスタルガラス

1676年にイギリスのジョージ・レイヴンズクロフトが鉛クリスタルガラスを発明すると、ボヘミアにも鉛クリスタルが取り入れられます。鉛クリスタルは、透明度輝度に優れる分、ソーダガラスを使ったヴェネチア製ガラスのような低温での形状加工が難しく、もろく欠けやすいために繊細なグラヴィールにも適しません。

そのためにボヘミアではグラヴィール技術を応用し、ガラスの輝きを生かしたカット技術が発達します。ボヘミアンクリスタルのカット技術はボヘミアンカットと呼ばれ、アーク風(円・弓)の正確で深い仕上げとウェッジカット(レース模様のカッティング)が特色です。

ボヘミアングラス

現在チェコは世界最大の鉛クリスタルの生産国であり輸出国で、生産の80から90%程度、つまりほとんどが世界各国へ輸出されています。これが、厚みと重みのあるクリスタルガラスの表面一面に様々なカットが施されたボヘミアングラスです。

因みにベネチアもボヘミアもハプスブルクの領地だったことから、シェーンブルン宮殿の大きな鏡はベネチアンガラス、マリアテレジア様式で知られるシャンデリアはボヘミアンガラスが使われ、今でも当時のオリジナルの美しさを見ることができます。

クリスタルガラス

クリスタルガラスとは、ガラスに酸化鉛(PbO)を入れて透明度と屈折率の高いガラスを作り、その特製を生かして表面にカットを施しすことにより、まるでクリスタル(水晶)のような輝きを持たせたものを指します。一般的にはクリスタルガラスと言えばこの鉛ガラスを指し、広義には様々な鉱物によるクリスタル状の輝きを持つガラスと考えられます。

ヨーロッパの鉛ガラスは、国により多少の差がありますが、鉛の含有率24%以下が普通のガラス、24%からがハーフ・クリスタル、30%からがフル・クリスタルと考えられます。なお、輝きの色あいはガラスに入れる着色剤により変化し、たとえば、酸化クロムを入れれば緑色、還元銅やセレニウムで赤、金でルビー色、酸化コバルトで青、酸化銅で青緑色などに輝きます。

鉛クリスタルガラスは、鉛の含有率を上げると屈折率が高くなり輝きも増しますが、低温での形状加工が難しくなったり、粘性が減りもろく欠けやすくなります。これは、炭酸カリウムのカリクリスタルも同様で、グラヴィールやカットの行程でガラスが欠けやすかったり、加工が難しくなります。

最低32%の鉱物含有量を持つスワロフスキー社のシルバークリスタルは、この困難なガラス加工技術の克服と最新技術の導入、斬新なアイデアにより世界一のガラスと言われるようになりました。

スワロフスキー社の歴史/Swalovsky

スワロフスキー社の社名は、創設者の名、Mrダニエル・スワロフスキー(1862-1956)を取ったものです。彼はガラスで有名なボヘミア(現チェコ)に生まれ、最初は父親の工房で水晶やアクセサリーのカットをする職人でした。スワロフスキー社はその後もオーストリアの多くの企業同様家族経営の形を留め、今も4代目と5代目による経営が続いてます。

ダニエル・スワロフスキー氏は21才のときに国際電気博覧会を見に行き、その展示から発想を得た宝石切削機の開発を開始、9年後には完成させてます。この機械は手仕事の1万倍の速度で高精度なカットを均質に行えるという画期的なものでした。

スワロフスキー社チロルへ移る

そして1895年には、この秘密を守るためと、落差発電の電力を求めて、工場をボヘミアからチロルへと移し、現在に至ってます。当初はカットのみの工場だったのが、その後、自社でガラス溶解炉、研磨工具を開発し、ガラス素材の生産から製品加工までの全行程を大量生産するようになりました。

特に1920年代のアールデコ時代には、ファッション、ジュエリー、シャンデリア等のクリスタル部品の供給元として飛躍的に成長しました。内装が全て失われたベルサイユ宮殿に再現されたマリアテレジア様式のシャンデリアが、実はこのスワロフスキー社製品であることはあまり知られていません。

1935年にはダニエルの息子、ヴィルヘルム・スワロフスキーがクリスタルガラスの透明度と高屈折率を利用して高性能な双眼鏡を作り、1948年に「スワロフスキー・オプティック」と言われる光学機器部門が始まります。スワロフスキー・オプティックのロゴはシルバークリスタルと区別され、シルバークリスタルのロゴに使われる白鳥ではなく鷹のマークが使われます。

シルバークリスタルの現在

しかし、1973年のオイルショックで、シャンデリアなどのクリスタルガラス部品生産から、クリスタルガラスを透明接着剤で接着した「置物飾り」の生産へと方向転換を迫られます。1976年に始まる置物飾りシリーズは、ハリネズミから始まり、カメ、スワン等毎年数点の新作を発表し続け、この成功により「シルバークリスタル」の名が世界中に知られるようになりました。

スワロフスキー社は、クリスタルガラスへの鉱物含有率からくる宝石のような輝きと、置物飾り開発で培われた技術を生かし、1977年からはアクセサリー分野へも進出しており、最近はこれらのシルバークリスタルジュエリーもよく知られ、人気商品として定着してます。

なお、スワロフスキー社のガラス製品には常に新しい技術の開発と導入がされており、通常のクリスタルガラスの他に酸化カリウムの含有率を高めることで透明度を高めた無鉛カリクリスタルガラスなど様々なガラスが使われているそうです。

1995年には創業100年を記念し、本社のあるチロル州ヴァッテンスにクリスタルヴェルテン(独/英)の名でテーマパークがオープン。巨人の頭をくぐりそれぞれの趣向を凝らした地下の6つの展示室を楽しむことができ、チロル滞在型の観光時にはお勧めの観光スポットの一つに数えられてます。

参考文献:2000年3月18日夕刊読売新聞2版
間違いは指摘ください。高崎守弘