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黒沢真澄(くろさわますみ)
1934年6月3日(1935年?)東京生、2007年10月28日(日)21時頃ウィーン没、享年73。糖尿病からの心筋梗塞。5才でデビューコンサートを開き神童と言われたヴァイオリニスト。ウィーン私立音大・旧音楽院(独/英)教授。オーストリア公認通訳案内士。
黒沢家は、元々は秋田県鹿角市の神主の家系。音楽学者の故・黒沢隆朝の二男。
誕生一週間後に母親を失う。1956年に国立音楽大学卒業、同年ウィーン留学。1960年ウィーン音大卒業(国立音大か音楽院か不明)。ヨーロッパを股にかけた日本を代表する一流演奏家として活躍。ヨーロッパで「彼が音楽を選び、音楽が彼を選んだ」と言われるほどの音楽人生だったが、1962年の交通事故で手を痛め、2年間のリハビリ以後は、一線から退きウィーン劇場/Theater an der Wienオーケストラコンサートマスターを勤めた。その後ウィーン音楽院(現・ウィーン私立音大)で教鞭をとりながらオーストリア公認通訳案内士として活躍。
マイナス10度以下の風の強い日にベルベデーレ庭園で日本人観光客を前に15分もオーストリアの歴史を語ったのは有名な話。言葉遊びが巧みで「ヨーロッパの人は自然が自然のままでは不自然と考える」「ウィーンの森はアルプスの東の尻尾」などは多くのウィーン観光客が耳にした言葉。晩年は日本人観光客だけでなくドイツ語の観光案内で好評(シェーンブルン宮殿の係員から)。
以上、2007年11月15日(木)15時からの、クリムトやオットーワーグナーのお墓のあるHietzingerfriedhofのHalleにおける告別式で読み上げられた内容に加筆。
※黒沢隆朝(くろさわたかとも):明治28年4月~昭和62年5月。秋田県鹿角市花輪生まれ。花輪小を経て大正6年秋田師範卒のち東京音楽学校(東京芸大)卒業。早稲田大学文学部講師、川村短期大学教授、東邦音楽大学教授、文部省教科書用図書審議委員(音楽部長)などを歴任。山田耕筰に師事して桑田つねし、藤原俊、藤村俊、西田徹、水田誌仙、水田詩仙などの別号を用い作詞、作曲の活動のほか、東南アジアの音楽や音楽起源に関する著作は数多く、黒沢学説と評価されている。
- 関連リンク:
- コトバンク黒沢真澄(日)
- google検索「黒沢隆朝」(日)