トップページ武田倫子の 「行った・見た・聴いた」画家エゴンシーレ1/2

画家エゴンシーレ1/2

 芸術の秋、画家を尋ねての清遊のひとときは如何?エゴンシーレの亡くなったのは10月。六ヶ月の身重であった妻エディットをスペイン風邪で亡くし、その看病をしていた本人も31日に没。二人の亡骸はオーバー・サンクト・ヴァイト墓地に。そこへは地下鉄4号線でオバー・サンクト・ヴァイトまで。乗り換えてバス55Bを使ってゆける。墓地入り口に表示版あり(B地区10・15)。

 2人が知り合ったのは「窓」を通じて。ヒッツィンガー・ハウプトシュトラーセ101の最上階にアトリエを持っていたエゴン。その斜め前の同114の窓にエディットを見かけ、「気になる存在」に。両窓を空中の線で結ぶと、ちょうど目が合うよう、彼女の気を引こうとして奇抜なスタイルをとったというのも想像できそうな雰囲気が今でも残っていて、姉のアデーレはこの恋の仲立ちをしたという。「窓」に特別の思いを持っていたシーレ。これは生家トゥルン駅二階の住居の窓より汽車を眺めるのが好きだった少年時代から形成されている。

 この頃シーレには彼のモデルでもあり同棲していたヴァリー・ノイツィルという女性がいて、屈曲を経て、別れ話はカフェで切り出されたという。そしてその別れを描いたのがベルヴェデーレ上宮にある「死と乙女」。当初これが展示されるに際して裸体であったためアカデミーからクレームがつき、やむなく服を上に描き加えたという作品。

 女性は必死でしがみついているものの、破滅した愛に目は虚ろ。抱き合いながらも二人の表情は死んでいる。男性は当惑しつつ、この現実を凝視、拒否しているかのようにも見える。ヴァリーは離別後、赤十字の一員として戦地に赴き、そこで亡くなってしまう。

 意識の中に二人の女性があったことを思わせる作品も描いているが、写真で見るとエディットとヴァリーはどこか表情の似ているのが不思議。

 「ほおずきの実のある自画像」(レオポルド美術館にて展示)はヴァリーの肖像と対をなす作品。顔の質感がうまく表現され、影響を受けたゴッホ筆致を思い出させる。

 猥褻罪に問われ拘留されたこともあったが、対象の奥を見詰めめ、自分自身をも対象であるかの如く描き続けた生涯。誰もシーレほどに鮮烈には生きられない。

 秋の1日、墓参りをしながら、その生涯に思いを馳せてみるのはどうでしょうか。

2002年10月たけだのりこ