トップページ > ウィーン市内の散策 > ウィーン旧市街地の徒歩観光 > ロプコヴィッツ宮殿とカプチーナーグルフト
ウィーン旧市街地の観光3/5:オペラ座からシュテファン
- 関連項目:
- 1/5:ザッハーホテルとザッハートルテ
- 2/5:カフェーモーツアルトとティロラーホーフ
- 4/5:シュヴァルツェンベルク宮殿と皇帝賛歌
- 5/5:ケルンテン通りとシュトック・イム・アイゼン広場
ベートーベン「英雄シンフォニー」初演
カフェー・ティロラーホーフを左に見ながらまっすぐ行くと、次の左の角から奥の突き当たりに建物が見えます。数年前に王宮から劇場博物館が移されたロプコヴィッツ宮殿です。ロプコヴィッツ侯爵は音楽家ベートヴェンのパトロンであったために、1804年にベートーヴェン自身によって第三交響曲の初演がこの宮殿で催なわれてます。
中世のウィーンには様々な家畜を売った動物市場が点々とありました。その中世時代、まだこの宮殿が無かった1350年頃、ここにはブタ市場の場所だったそうです。アウグスティン教会の横の臭くうるさかったブタ市場が教会からのクレームによって新ケルンテン門界隈に移された後は、その小さな広場で首切り処刑が行なわれるようになり、ここで処刑された人々の記録も残ってます。
トルコ戦争の救世主
ロプコヴィッツ宮殿を遠く突き当たりに見て、さらにまっすぐ数十メートル進むとノイァーマルクトに出ます。 ノイァーマルクトに入りすぐ左には、十字架を前に差し出す ⑥ マルクス・フォン・アビアーノ/Markus von Aviano像が立つカプチン教会が見えるでしょう。
マルクス・フォン・アビアーノ(独)は1683年に異教徒オスマン・トルコに包囲されたウィーンを救い、この教会に葬られたカプチン派神父です。ローマ法王特使としてポーランドまで出向いた彼は、ポーランド王ヤン・ソビエフスキーを説得、ソビエフスキーはカトリックの世界を救うために援軍を率いてウィーンまで来ることになりました。この援軍無くしてウィーンは救われなかったはずです。
- 関連リンク:
- Marco d’Aviano(独)
ハプスブルク皇帝霊廟
マルクス・フォン・アビアーノ像に向かって右に ⑦皇帝霊廟/カイザーグルフト/Kaisergruftの入り口あります。ここが今も使われ続ける歴代ハプスブルク王朝の霊廟です。
この皇帝霊廟はルネサンスから現代に繋がる棺の様式を見ることができる世界で唯一の霊廟だそうです。
美術史美術館に展示されるスペインバロックの巨匠ヴェラスケスが描いたマルガリータ・テレジアは、スペイン王フィリップ四世と、ウィーンからスペインへ嫁ぎ、マリアナ諸島の名前になったマリア・アンナとの間に生まれ、ウィーンの皇帝レオポルド1世のもとに嫁いで来て、ウィーンで世を去ってます。彼女の棺にはマルガリータの頭文字Mが認められます。大きなマリア・テレジアの棺には、彼女が愛した夫であり皇帝であったフランツ・シュテファンも一緒に眠ってます。マリア・テレジアが「マミーフックス」と読んだ教育係りのフックス伯爵夫人は、ここに眠る唯一の庶民です。ナポレオン妃マリー・ルイゼ。恋愛貴俗結婚を選び、ここに入らなかった一次対戦最初の犠牲者、皇太子フランツ・フェルディナンドの石版。実質上の最後の皇帝フランツ・ヨゼフ。世界一美しい皇后と言われたエリザベート。その二人間に生まれた長男、映画「うたかたの恋」で知られる悲劇の皇太子ルドルフの三つの棺にはいつも献花が絶えません。また、1989に97歳の誕生日直前に無くなられた最後の皇后ツィータの真新しい棺など、全てがここで公開されてます。
- 関連項目:
- 皇帝霊廟の日本語ツアー
高崎守弘